行動を目的化するという生き方

どうもシャオムです。

僕はどちらかというと「今を生きる」肯定派の人間ですが、こういう精神論だけで語るのもあまり好きではないので、僕にとってこの言葉の意味を掘り下げてみたいと思います。

結論は、あらゆる行動の目的化です。今自分がやっていることを何かの手段としてとらえるのではなく、行動それ自体を目的ととらえることです。たとえば僕が塾で働いているのは、その経験が教育者として活かされるなどという理由ではなく、今仕事をするためであり塾で働くのが楽しいからです。合唱団で活動しているのは、歌がうまくなるためとか友達を作るためではなくただ歌うのが楽しいからです。活動した結果歌がうまくなったり友達ができたりしますが、それ自体が目的ではないです。

なぜ僕が行動を手段にするのが嫌いかというと、目的が果たせなかったときに、その行動が無駄になるからです。友達を作るために合唱団に入ったら、友達ができなかったら意味がありません。でも歌うために入ったら少なくとも目的は達成できているので、その行動に価値が付きます。そして、後から振り返ってみると、合唱団に入ってよかったことなんていくらでもあるのですから、わざわざ入る段階で「何のため」とかいらないのです。

しかし、世の中はこのルールで動いていなくて、さまざまなことが手段とみなされています。たとえば就活のエントリーシートに経験を書けるようにボランティアをしようとか、子どもが運動をできるようにサッカーを習わせようとか。もちろんサッカースクールは「お子さんに運動をさせませんか?」という誘い文句を使います。しかしこれは経済やマーケティングの論理です。自分の子どもにサッカーをやらせるかというミクロレベルで見れば、運動不足解消などよりも先に子ども自身がサッカーをやりたいかという基準が来るはずです。やりたくもないサッカーをやって、うまくなって褒められる、みたいな経験をしていくと、子どもはだんだん自分の意志を脇において行動するようになっていくのではないかと思います。行動を手段化することで得ようとするのは、成長、富、出世などではないかと思います。一方、行動自体を目的化することは、意志や希望、情熱のような、人間の内面に関わってくることではないでしょうか。

今回書いたのは生き方の問題であって、そこに優劣があるのではありません。ただ、少なくとも「今を生き」た方が、人生楽しいんじゃないでしょうか。

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