「大学でマーケティングを学ぶ」の意味

僕は大学でファイナンスを勉強していたのですが、ゼミでは広くビジネスを学んでいました。ビジネスを勉強している学生によくあるのが「社会に出て役立つから」という動機なのですが、今回はこれについて考えていきたいと思います。逆に、哲学とか歴史を専攻している人は「どうせ大学に来たなら大学でしか勉強しないことを勉強したい」などと言います。

大学生のこういう言葉の背景には何があるでしょうか。それは、学問と実践の関係が曖昧なことです。

現役バリバリのビジネスマンからしたら、大学のマーケティングの授業なんて意味がないでしょうし、大学の教員からしたら学問にはビジネスの現場には足りない何かがあると思うでしょう。

ここから私たちが考えなければいけないのは、大学ではマーケティングの方法は学べないということです。大学でマーケティングを教えてくれるのは、大学の先生であって、実際に利益を出しているマーケターではありません。実際にマーケティングの仕事で活躍するためには、現場のマーケターから学び、また自分で経験を積む以外にないでしょう。では、大学のマーケティングの授業では何を学べるのか。それは、今まで成功した方法、失敗した方法、マーケティングの歴史、マーケティングをめぐる社会問題などです。これらは儲けるのに役立つものではなくて、どう生きていくか、どう社会を見るかに関係があるものです。つまり、学問と実践的な学びは性質が違うんですね。

これはあらゆる「実践的な」学問にいえることです。大学の教育学部は、本来、教師として働くために必要なスキルを学ぶところではないはずです。働くための最低限の準備をするために、模擬授業をしたり教育実習に行ったりしますが、それは学問ではありません。大学で昔から教えられてきたのは「学校とは」「あるべき教育とは」「日本の教育の仕組みとは」というようなことです。教育に関わる者として、自立して考え、社会にはたらきかけるためには、これらを学ぶ意義は計り知れません。だから「大学で学んだことは教師になったとき役に立たない」という指摘は、大いに的を外しています。もともと役に立つことを学ぶ場所ではないからですね。それを、もっと実践的なことを学べるようにとか言って、大学がスキル面に偏っていくと、仕事ができる教師は増えるでしょうが、広い視野で思考できる教育者は育ちません。これは、教育学部を「教師養成所」と捉えるのか、学術機関と捉えるのかの問題です。

学ぶ側としては、この学問と実践の両輪を分けて考える必要があります。学問だけやっていても、現場で役に立たない人間になってしまいます。実践だけを重視して学問を無視すれば、思考の狭い人間になってしまいます。キャリアを通して、また人生を通して、学問と実践の両面で学び続けることが大事なのではないかと思います。

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