『三四郎』に描かれた1908年の日本

どうもシャオムです。

英語で漱石の卒論を書いた、という友だちがいます。以前、会ったときに「漱石をあんまり読んだことないけれども、おすすめとかある?」と聞くと、「三四郎は爽やかでいいよ」と勧めてくれたので、読んでいました。今回は『三四郎』を読んで感じたことを書いてみたいと思います。

友だちの言う通り、爽やかで、この時代の小説としてはさくさく読み進められる方だと思いました。さらに、主人公は九州から上京してきて大学生活を送る三四郎。今の自分の年齢と近く、親近感がわきます。大学を卒業し、24歳の目線から今の日本、今の世界を見ている僕にとっては、三四郎から見た当時の日本、当時の世界は新鮮でした。

時代としては、1908年、日露戦争が終わったあたりです。大正時代が始まる前で、なんとなく自由な雰囲気が漂っている感じがします。三四郎東京大学に入学し、その界隈の人々との交流を通じて成長していきます。当時の学生たちの勉強や遊びの様子は、愉快に映ります。あの教授の話は聞く意味がない、とか寝坊して授業に行けなかったとか、今とまったく変わりません。また、講義終わりに菊人形を見に行こうというところもおもしろいですね。100年前の学生は菊人形を見に行ってたんかいと思います。三四郎が先生の家に行くとき、柿を買っていく場面もおもしろいです。まず土産に柿を持っていくのがおもしろいですし、先生が柿をむいて皆で食べるのもおもしろいです。こういう当時の町の様子、学生たちの様子が特に印象的でした。もし自分がこの時代に生まれていたら、まったく違う視点で世界を見ていたでしょう。そう考えると、時代や環境は僕らが想像する以上に、人生に大きな影響を与えるなあと思います。

また、三四郎の同年代の女性たちは、20世紀に入り、古い伝統から解放され、自由な人生を生きていく人たちとして描かれています。三四郎が思いを寄せる美禰子は、運動家の平塚らいてうがモデルになっていると言われています。東大という界隈にいた良い家の出身の若者たちが、新しい時代をどう生きていくかを考えるとき、恋愛や結婚という問題がいかに大きかったかがよくわかります。

教養小説などと呼ばれ、物語として一般的な起承転結、あるいは大きなダイナミクスのようなものはなく、三四郎のリアルな成長が一貫して描かれています。しかし、そこには当時の社会の雰囲気や起こっていた問題が綺麗に描かれていて、いろいろな感情や思考を呼び覚ましてくれました。またこういう「文学の中の文学」みたいな本も、ときどき読んでいきたいと思います。

 

三四郎

三四郎

 

 

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