私たちはコンプレックスにとらわれている

どうもシャオムです。

誰しも多かれ少なかれ、コンプレックスというものを持っているのではないかと思います。今回は、そんなコンプレックスが生き方に与える影響を考えてみたいと思います。意外と良くない影響を、私たちに与えているかもしれないというお話です。

まず、コンプレックスとは何を指すか、確認しましょう。英語そのものの意味は、「複雑な」という意味です。これが一般的には「劣等感」のような意味で使われています。人より苦手なことや自信がないことですね。

ここで重要なのは、コンプレックスというのは、単に「足りないこと」「劣っていること」という意味ではなくて、「本当はこうでありたいけどそうでないこと」のような意味です。たとえば、僕はスペイン語が話せませんが、スペイン語が話せないことに劣等感を抱いたことはありません。それは、僕にとってスペイン語が何らの重要な意味を持っていないからです。もしも学校でスペイン語の成績が評価され、スペイン語ができればいい大学に行ける、というような状況であれば、スペイン語ができないことは意味を持ちます。つまり、コンプレックスは自分と他人、自分と社会という関係性において生じるものであるということです。

では、コンプレックスは私たちの生き方にどのように影響を与えるでしょうか。たとえば、大学受験に失敗し、学歴にコンプレックスを抱いている人がいたとします。この人のコンプレックスに対する向き合い方は2通りあります。1つ目は、高学歴の人に負けじと一生懸命働いたり、出世を目指したりすること。そしてもう1つは、自分には学歴がないから、学歴がないなりの仕事をし、生きていこうと思うこと。

前者は前向きで、後者はやや後ろ向きな気がしますが、どちらにも共通するのは、その生き方が学歴にとらわれているということです。前者の、一生懸命働いている人の場合、頑張る理由の中心に、高学歴に勝ちたいという動機があって、儲けるためとか社会のためとか家族のためという動機はその周辺にいってしまいます。やりがいとか目的が、「学歴」にとらわれたものになってしまうということですね。一方、学歴がないなりに生きていこうとしている後者の場合はどうでしょうか。この人の場合、学歴にとらわれていないようにも思えますが、やはり、学歴がある人とない人を分けて考えています。学歴をコンプレックスに感じていない人は、自分の学歴も他人の学歴も気にしませんが、これを感じている人は、学歴のある人とない人では違う見方や接し方をするかもしれません。どちらの場合でも、コンプレックスが生き方やモチベーションの幅を狭めているのがわかると思います。

これは自分がコンプレックスに感じていることに当てはめて考えると、納得のいく話ではないかと思います。自分では無意識に、とらわれたくない何かにとらわれて生きている可能性があります。今の自分と「そんなことにはまったくとらわれていない自分」の違いを想像してみることは、メンタルへの良い影響や新たな気づきがあるかもしれませんね。

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