コロナ時代のヒト・モノ・カネ・情報

どうもシャオムです。

新型コロナウイルス感染症が発生してからもう半年が過ぎましたが、その影響が世の中で出てくるのはまだまだこれからといったところだと思います。身近な影響で言えば、人に会えなくなったとか、仕事がなくなったというものがありますが、根本的に何が変化して社会全体にどんな影響が出るのかということをもう少し考えていきたいと思います。

まずコロナ前の世界では、グローバル化と情報化という2つの大きな流れがありました。ヒト・モノ・カネが国境を越えて移動し、世界で起こっている出来事がどんな人にも影響を及ぼす時代になってきました。しかし、コロナを経て、ヒト・モノ・カネのうちの「ヒト」が移動しにくくなってしまいました。ウイルスはヒトを媒介するからです。ヒトが移動できなくなると、その分モノやカネの動きも滞り気味になってしまいます。この3つの要素は経済にとって本質的な資源なので、人々の経済活動は全体的に衰えてしまっています。移動ができないということはヒト・モノ・カネそのものがなくなるわけではないですが、これらの資源の価値を活かす方法が限られるということなので、その分私たちは貧しくなってしまいます。

グローバル化の最初の最初までさかのぼると、スペイン人やポルトガル人が船旅をし始めた時代までいくのではないかと思います。ヒト・モノ・カネのうちまず最初に移動したのはヒトであって、モノだけが先に送られたわけではありません。ヒトあってこそのモノであり、ヒトとモノがあってこそのカネです。テクノロジーがある今、ヒトが直接移動しなくてもモノやカネを移動させることはできます。しかし、結局のところヒトがなければモノやカネは価値を持たないので、移動できない期間が長引くほど、今まで価値のあったモノやカネの価値がだんだん低くなっていきます。今のところ、日本では国民の貯蓄が増えていたり、株価が落ちていなかったり、今まで経済の指標とされてきた数字の上ではそこまでの大不況とはいえないでしょう。しかし、実質的には確かに経済は滞っていて、私たちは貧乏になっていると考えるべきです。コロナ禍での経済の停滞はこのように捉えることもできるのではないかと思います。

モノ・カネがうまく活かされなくなり、その価値が下がっている一方で、「情報」の価値は相対的に高くなっていると言えます。情報というと広すぎますが、言い換えると無形の財産ということです。情報が氾濫する中でも確かに意味のある情報は、これから価値が大きくなると思います。ヒトが移動できなくなった分、情報の伝達の重要性は高くなっています。今後は情報という資源をどう活用し、価値を生み出していくかが重要になるのではないかと思います。

以上、ヒト・モノ・カネ・情報の資源という視点で僕が勝手に考えた話でした。とにかく人々の感覚ではコロナはそのうち収束するという感じなのかもしれませんが、社会にとっての後遺症みたいなものは、これからますます顕在化してくるのではないかと思います。そのときに、争いを起こしたり誰かが不当に不利益を被ったりしないように、私たちは備えていかなければならないと思います。

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