教師は公平でないべきかもしれない

どうもシャオムです。

公平性というのは難しい問題だとつくづく感じます。3人でケーキを食べましょうというとき、3等分するのが公平ということになりますが、果たしてこれがあるべき分配のしかたでしょうか。もしある人がよりお腹がすいていたら、その人が多く取るべきでしょうか。このことからもわかるように、公平という考えには一筋縄ではいかない問題が含まれています。

教師という職業は、他のさまざまな立場にも増して、公平性が求められます。たとえばある生徒には頻繁に話しかけ、ある生徒にはほとんど話しかけないというようでは、公平性に問題があるといえます。特に、ルールや中立性に対して敏感になる中学生や高校生は、教師が公平でないと強くストレスを抱きがちです。

しかし、現実では、教師が公平でないことはしばしばあります。僕が中学生のとき、特に悪いことをするわけでもないのによく先生に注意される女の子がいました。その子は勉強もよくできて、周りにもよく気を配っていて、当時の僕らからすると、どちらかといえば優等生の部類に入る子でした。しかし、当時の担任の先生は、ちょっとしたことでも彼女に細かく注意していました。下校時間を守りなさいとか、変なものを持ってくるなとか、他の生徒よりも余計に注意されていたと思います。当時僕が抱いていたのは、そんなに悪いわけではないのに目をつけられてかわいそう、という気持ちでした。同じことをしているのにある生徒は見逃され、ある生徒は注意されるというようでは不公平じゃないか。少なくとも、本人がそう反発してもおかしくはありません。

1年くらい前、その担任の先生に久し振りにお会いする機会がありました。当時のクラスに話が及び、なにげなく「なぜあの子をあんなに注意していたのか」という質問をしてみました。いわば答え合わせですね。僕は、目をつけられやすく注意されやすいタイプの子というのは時々いるので、教師からしてもそんなに深い意味はないのではないかと思っていました。しかし、予想とは裏腹に、担任の先生は、彼女に厳しく接する一定の根拠を持っていました。「あいつがいらんことをすると、みんなが真似をする」と、先生は言いました。ああそういうことだったのかと、納得しました。彼女は学年の中で、良くも悪くも目立つ存在であり、周りに影響力を持っていました。先生からすると、彼女が遅刻してくるのと、他の誰かが遅刻してくるのでは、わけが違うんですね。「あなたの行動はみんなが見ているから、模範となるように過ごしてほしい」というのが、先生の思いだったのでしょう。自分だけが注意されて、多少の不満もあったでしょうが、それでもまじめに振る舞っていた当時の彼女の姿は尊敬に値します。教師というのは、公平性という視点のほかに、全体の秩序を守るという集団運営の視点を持っています。

僕の担任の先生が特定の子に厳しく接していたことが、正しいかどうかはわかりません。ただし、全体の雰囲気にとってあの子の言動は特に重要だという先生の信念には、敬意を表さなくてはいけません。みんなに公平であるべきだから、特定の子ばかり注意するのは良くない、と言って何もしないのは簡単かもしれません。一方、生徒本人のため、周りの生徒のために積極的に働きかけ、指導するのは大変であり、公平性を損なうリスクもあるでしょう。しかし、人を育てるという大きな視野で考えたとき、公平性にとらわれた教育は、ちょっと限界があるんじゃないか。担任の先生との答え合わせは、そう思わされた瞬間でした。

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