オーウェルが『動物農場』の序文(?)に書いたこと

どうもシャオムです。

先日、ジョージ・オーウェルの『動物農場』の記事を書きました。今回は、岩波文庫版『動物農場』の付録についていた、オーウェルのエッセー『出版の自由』について書いていこうと思います。ソ連共産主義を痛烈に批判したオーウェルが、出版の自由に関して持論を展開している面白い文章です。

この文章は、オーウェルが『動物農場』の序文として書いたと言われているものです。「書いたと言われている」というのは、実際に1945年に出版されたとき、この序文は収録されなかったからです。最初に世に出たのは、1972年だそうです。1940年代、オーウェルは、ソ連に対して批判的な内容の『動物農場』をなかなか出版することができずにいました。イギリスの出版社がなかなか出版してくれず、4社から断られたと書いています。オーウェルはその理由について、次のように書いています。

いま現在、思想と言論の自由をおびやかす最大の敵は、情報省その他の政府筋による直接の干渉ではない。出版社や編集者がある種のトピックを印刷しないでおこうとする場合、それは訴えられるのが怖いためではなく、世論が怖いためである。

 つまり、ソ連を批判する論調の『動物農場』は、イギリス政府が検閲をかけたのではなく、ソ連に対して肯定的な時の世論の影響で出版できなかったということです。出版の自由とは、一般には国家による検閲がないことを指しますが、いわゆる「大衆への受け」ばかりを気にする出版社によって、はからずとも言論が制限されていることを、オーウェルは指摘したのでした。このことを指して、オーウェルは「不正」という言葉を使っています。

あからさまな不正をこのように許してしまうのは、たまたま流行しているロシア礼賛よりもずっと由々しきことなのである。

ある特定の思想がもてはやされることが問題なのではなく、その思想にとらわれた人々が他の思想を受け入れられなくなり、結果的に自由が制限されてしまう。このことこそ、オーウェルが危惧した問題でした。

しばしば私たちは「自由が守られる制度」や「皆が権利を与えられる制度」をもって、健全な自由や民主主義が実現していると思ってしまいます。しかし実際は、言論は世論の傾向によって制限され、私たちが得る情報は知らないうちに偏ったものになっていきます。このことを認識しているかいないかというのは、市民として重要な点なのではないでしょうか。

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