『君たちはどう生きるか』に書かれていること

どうもシャオムです。

吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』という本を知っているでしょうか。何年か前にメディアで取り上げられ、話題になっていました。実はこの本は、1937年に『日本少国民文庫』という児童文学集の一つとして出版された小説です。それが現代になっても、多くの出版社から改めて出版されるほどの名作だということになります。僕は小説をあまり読む方ではないですが、「好きな本は?」などと聞かれると『君たちはどう生きるか』と答えます。もともとこの本の読者として想定されているのは、中学生から高校生の世代ですが、僕が初めて読んだのは大学4年のときでした。それでも、これを中学生で読んでいたら気づかなかったであろう多くのことに気づき、心に深く刻まれる一書となりました。今回は、この本の何がそんなに良いのかを頑張って紹介したいと思います。

主人公は中学生のコペル君。物語には、コペル君が叔父さんや友だちとの関わりを通して成長していく姿が描かれています。全10章ありますが、クライマックスとなるのは6~7章のあたり。コペル君が友だちを裏切ってしまい、罪悪感に苛まれる場面です。ここで、「人間として一番しんどいのは罪を償うこと」という最大のメッセージが伝えられます。読んでいて一番、生き方を考えさせられる場面でした。

ただ、僕がこの本に強烈に魅了されたのは、実は第1章と第2章です。今回は、この部分について書きたいと思います。

第1章は、コペル君と叔父さんが、銀座のデパートの屋上から都市の人々を眺める場面で始まります。そこでコペル君は、「人間て、まあ、水の分子みたいなものだねえ」ということに気づきます。つまり、人間は皆、世の中の一分子であり、それぞれが集まって世の中を作り、世の中の波に動かされていると。叔父さんは、このことに気づいたコペル君に対して、「おじさんのノート」を記します。この「おじさんのノート」が各章の終わりに出てきて、コペル君の成長を「大人の言葉」で読者に説明してくれます。第1章のノート『ものの見方について』、そして第2章のノート『真実の経験について』は圧巻です。

 ものの見方について(抜粋)

 君は、コペルニクスの地動説を知ってるね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人は、みんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。これは、一つが、キリスト教の教会の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかし、もう一歩突きいって考えると、人間というものが、いつでも、自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。

 ところが、コペルニクスは、それではどうしても説明のつかない天文学上の事実に出会って、いろいろ頭をなやました末、思い切って、地球の方が太陽のまわりをまわっていると考えて見た。そう考えて見ると、今まで説明のつかなかった、いろいろのことが、きれいな法則で説明されるようになった。そして、ガリレイとかケプラーとか、彼のあとにつづいた学者の研究によって、この説の正しいことが証明され、もう今日では、あたりまえのことのように一般に信じられている。小学校でさえ、簡単な地動説の説明をしているようなわけだ。

 しかし、君も知っているように、この説が唱えはじめられた当時は、どうして、どうして、たいへんな騒ぎだった。教会の威張っている頃だったから、教会で教えていることをひっくりかえす、この学説は、危険思想と考えられて、この学説に味方する学者が牢屋に入れられたり、その書物が焼かれたり、さんざんな迫害を受けた。

 

 子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。

(略)

 それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になって来る。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。

(略)

 しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実は、ごく大体のことに過ぎないんだ。人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜けきっているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。殊に、損得にかかわることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常にむずかしいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方の出来る人は、非常に偉い人といっていい。たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、ものごとの真相がわからなくなり、自分に都合のよいことだけを見てゆこうとするものなんだ。

 しかし、自分たちの地球が宇宙の中心だという考え方にかじりついていた間、人類は宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、決してうつらないのだ。

 

僕はこれを読んだとき、学ぶことは、コペル君が気づいたようなものの見方をするために、必要なものかもしれない、と思いました。知らないということや、考えないということは、世界を自分の中だけに閉じ込め、周囲の光を遮断するということです。自分や世間の物事を大きなものの中でとらえられるようになるために、僕たちは学ぶ必要があると思います。第1章は、このことを頭の中にすっきりと思い描かせてくれました。第2章やそれ以降も感動的ですが、割愛させていただきます。

 

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

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