「考える」ことはネガティブか

どうもシャオムです。

僕は人よりもよく考える方かもしれないと思っているのですが、それは一体何を意味するでしょうか。「自分で考えて行動しなさい」などと言うように、考えることは重要なことだという捉え方もあれば、「考える前に動け」と言うように、ネガティブな意味を持つこともあります。他の国でどうなのかはちょっとわからないのですが、少なくとも日本では、考えることがネガティブに捉えられることが多いです。たとえば、うつなどの精神的な病気は、「考えすぎること」と結びつけられますし、内向的な人よりも外向的な人の方が好かれるというイメージも浸透しているのではないでしょうか。

考えることがこのようにマイナスの意味を持つ理由はいろいろあるはずですが、一つには、考えることが「リスクを避けること」と関係しているからではないでしょうか。言い換えると、「〇〇が起こったらどうしよう」という不安や心配がもとになって、人は考えるということです。そう思うと、たしかに考えているときの頭の中は、ネガティブなことでいっぱいです。そうなるともちろん幸せではありませんし、考えれば考えるほど気分が落ち込みそうです。

では、考えることはなぜ必要でしょうか。極端に言えば、考えない人間はほかの動物と同じと言えるので、考えることは人間を人間たらしめているということができます。つまり、考えるということは、人間らしく生きていくために必要なものです。

このように話を進めると、A:「考えることはネガティブなことである」とB:「人間は考える生き物である」という二つの命題によって、C:「人間はネガティブなものである」という結論が得られます。もし私たちが、いや、人間はもともとネガティブなものではないはずだと思うなら、A、B二つのうちどちらかを否定しなければなりません。僕はB:「人間は考える生き物である」を否定するのはなかなか難しいと思うので、A:「考えることはネガティブなことである」を見直してみたいというわけです。

僕は、「考える行為」をネガティブなものからポジティブなものへと変えてくれるのは、知識とか教養なのではないかと思っています。たとえば、明日のプレゼンがうまくいくかどうかをずーっと考えているとします。自分の気持ちを不安が占めると、それはネガティブなものになります。これを前向きな方向へと変えるのは、プレゼンの技術を勉強したり、入念に準備したりすることではないでしょうか。この例では、勉強することによって、考えることがポジティブになっているのがわかります。

そして、最も重要なことは、仕組みを理解することです。人間関係の問題を考えているときでも、仕組みに目が向かなければ、問題の原因を自分や相手に帰してしまいがちです。問題が起こる原因が仕組みにあるという視点を持つことができれば、じゃあそのうえでどうしようということに思考が向かいます。そのためには、やはり教養が必要ですし、「学ぶ」という行為自体が、ポジティブな意味での「考える」ことになるのかもしれません。

今回は、「考える」ことがネガティブか、というテーマで書かせていただきました。考えることの大切さがもっと浸透すればいいなと思います。

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