「時間を買う」という考え方

どうもシャオムです。

1日の中で、無駄にしている時間について考えたことはあるでしょうか。多くの人に当てはまるのは、意味もなく動画を見ている時間などでしょうか。僕は、あまり無駄にしている時間について深く考えていないのですが、一般的な関心は高いテーマだと思います。忙しい社会人にとっては、重要なテーマかもしれません。今回は「時間を買う」ということについて考えてみたいと思います。

たとえば、私たちが時間を無駄にしないようにしようと思って取り組むことと言えば、早起きする、テレビを見るのをやめるなど、ちょっと頑張れば時間が作れるようになることを考えると思います。これは重要な考え方であって、自分の時間をより価値的に使うための基本的な作戦です。

ただ、この方法の限界は、自分が頑張らないといけないということです。テレビをダラダラ見るのをやめようとするなら、当然その分エネルギーを使わなければなりません。それを習慣にするのは、かなり難しいことも多いです。

そこで、「時間を買う」という発想が登場します。わかりやすい例は「ご飯を作らない」ことです。いま、毎日晩ご飯を自分で作っていて、料理や片付けをするのに平均1時間かかるとします。この分の時間を、食事のレベルを落とさずに削ろうと思うと、料理をしない以外にありません。たとえば外食をすれば、1時間が浮くことになり、(外食の費用−自分で作った場合の食材にかかる費用)が余分にかかることになります。これが「時間を買う」ことの基本的な考え方です。

要するに「時間を買う」とは、自分でやる必要がないことを人にやってもらうということです。生活の中には、自分でやらなければならないと思い込んでいるものがたくさんあります。僕の場合では、部屋の掃除や役所などの手続きなどです。このような仕事に対しても、一定の対価を払えば誰かにやってもらうことができるでしょう。

しかし、ここで問題になるのが、「そんなことぐらい自分でやるべきなのではないか」ということです。そもそもこの社会には「自分のことは自分でするべき」というような規範があります。そんな中で、周りの人が自分でやっていることを自分だけ他人にやらせるのは気が引けるものです。

考えるべきなのは、自分にとって意味がある行動は何なのかということです。たとえば料理をすることが単に食べるための作業であるならば、それを自分でする意味はあまりないと言えます。しかし料理をするのが楽しかったり、料理がうまくなることに何か意味がある場合、それは価値を持ちます。このように、自分がやっていることに価値を付け、その価値が外注した場合の費用と比べてどのくらいなのかというのが問題になります。考えてみれば大昔は、食糧も自分で調達しなければならなかったのです。現代で、人が釣った魚をお金で買うなんて非常識なんじゃないか、などと考える人はいません。社会が変わっていけば、今は自分でやるのが当たり前なことも、人から買うのが当たり前になるかもしれません。いずれにしても、自分が何気なく日々繰り返している行動にどんな意味があるかを考えてみることは、有意義なのではないかと思います。

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