価値多元主義の実践

どうもシャオムです。

1月2日に「価値相対主義の限界」と題して、互いに干渉しない現代の風潮を価値相対主義といって批判しました。

1月3日には、それに代わる考え方として「価値多元主義を考える」を書きました。ここでは多元主義について触れ、その中でも、価値多元主義とは、多様な価値が尊重されたうえで共存する社会であると書きました。

前回の1月4日の記事では「価値相対主義社会のモデル」と題して、価値相対主義社会では、価値多元主義社会とは、異なる価値を積極的に許容し、尊重する社会であるということを書きました。

そして今回は、今まで価値多元主義について考えてきたことを踏まえると、私たちの生き方や、人との関わり方はどうなるのかということを考えていきたいと思います。

 

価値相対主義と価値多元主義のもっとも大きな違いは、「客観的な価値が存在するか」です。価値相対主義では、どんな価値観にも優劣はなく、人それぞれ自分の価値基準に従って生きていけばよいという考え方になります。つまり、客観的な価値は存在せず、おのおのが主観的な価値に基づいて生きています。一方、僕が今まで書いてきた価値多元主義においては、社会全体にとっての「正義」や「善」というものがあると考えます。つまりそれぞれの価値観は尊重したうえで、どの思想が他より優れているかといった議論をしていくことになります。ここでは、客観的な価値が存在し、また存在するべきだと考えるのが価値多元主義であるといえます。

この違いを踏まえると、価値多元主義に基づく人との関わり方とは、どんなものでしょうか。もしも、自分と人とはそもそも考え方が違うのだから議論しても揉めるだけだと考えるなら、自分の信条について語ったり、人の考えを理解しようとするモチベーションは低くなるでしょう。しかし、価値多元主義に基づいて、互いの考えを理解し合った上で、共通解を見出していこうとするならば、まず人の意見を聞こうという姿勢が必要です。そして、人に共感してもらえるだけの思想の深さ、また説得力がいります。一言でいうと、相当に洗練されたコミュニケーションが求められるということです。

価値多元主義に基づいて人と関わっていくということは、積極的にコミュニケーションをとるという態度につながっていくのではないでしょうか。そして、相手の考えを理解し、自分の考えと比較することで、お互いの考えが深まっていきます。価値多元主義の実践とは、積極的に関わるということからスタートするのではないかと思います。

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