「場の温度」について

どうもシャオムです。

よくお笑いの劇場などで、「場を温める」という言葉を使います。より具体的には、お客さんが笑いやすい空気を作るという意味です。今回は、場の温度について考えてみたいと思います。

「場が温まっているかどうか」は、お笑い以外でも大事です。学校の授業でもそうですし、会社のミーティングでもそうです。特に、誰かが一方的に話をするのではなく、みんなで意見を出し合いたいとき、場の空気は重要になります。重々しくピリついている場所では、言えるものも言えなくなってしまうからです。

では、何が場を温めるでしょうか。たとえば、学校で授業をする前に、クラスがすでに盛り上がっていて、その雰囲気をそのまま授業に持ち込むことができれば、盛り上がる授業ができるでしょう。また、ミーティングなどでも、もともとおたがいに良い関係性が築けていて、ミーティングにもそのままの話しやすい感じを持ち込むことができれば、リラックスした良い話し合いができるでしょう。このように、まず、場の空気を左右するものの大半は、もう本番が始まる前に決まっているということです。そのため、バラエティ番組の収録でも、収録の前に「前説」と呼ばれる、会場の空気をほぐすための時間がとられるのです。

ただ、さあ何かを始めようというときに、場の空気が重いとき、場を仕切る立場の人は何ができるでしょうか。漫才師や教師、司会者などの立場にある人たちです。一番は、その人が、明るく柔らかい雰囲気で話し出すことが一番でしょう。これは多くの人にとって簡単なことではありませんが、どんなに空気が重くても、仕切る人が明るく笑顔で喋っていれば、だんだん場も落ち着いて、ほぐれてくるものです。

そういう意味では、おそらくお笑い芸人は、さあ皆さん、今から楽しいことをやりますよという感じでニコニコ朗らかに登場するのが本来の姿なのではないかと思います。しかし、おそらくダウンタウンが「暗い漫才」をしたことによって、「笑いやすい空気の中で笑いをとる」のではなく「シリアスからひっくり返す」お笑いや「緊張と緩和」のお笑いが流行ったのではないかと思います。これは非常なことであって、お笑いに一つの芸術性とか、日常から離れた価値が付け加わったのです。日本におけるこの影響は、計り知れません。

話が漫才に脱線しましたが、要するに、私たちはこのように「明るい雰囲気を自分から出してくれる人」の存在を大事にしていかなければいけませんね。それが、温かい場を作ることにつながるのではないでしょうか。

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