Go to キャンペーンと市民の態度について

どうもシャオムです。

Go toキャンペーンが始まってしばらく経ちますが、ここにきて感染者数が増えてきて、制度を見直す声が上がっています。中には、「感染者数が増えているのにGo toなんてもってのほかだ」という人や、Go toを使わないように呼びかける人までいます。なによりも、Go to をやめるなり、緊急事態宣言を出すなり、内閣が策を打つべきだと考えている人は、かなり多くいます。そんな議論を見ていると、私たち日本人が、政治に対してどのような態度でいるのかが明らかになってきます。

「Go to を中止してくれ」などと言う人が多いのは、感染リスクに対する警戒心が全体的に強いからでしょう。ここから、日本人のリスクを好まない傾向が感じ取れます。しかし、そういう人が多いのは、単に感染拡大を止めるか、経済回復を優先するかという問題ではありません。それは、市民が市民の力で感染を止めるのか、行政が指示を出さなければいけないのか、という問題です。つまり、リスクを回避したがる国民性に加えて、お上が言うことを守りたがる国民性が表れているのです。

こういった、指示を求めるような態度の何が問題かというと、権力に翻弄されやすいということです。「私たちはあなたが言ったことを守るので、よろしくお願いします」という態度は、権力者にとって都合の良い政治を許す元凶になります。みんな、市民のための政治を求めているはずなのに、政治家に政治をすべて任せてしまった結果、一部のための政治になってしまうということです。民主主義という仕組みにおいては、政治の主体者は市民であって、政治家はあくまでその代表です。したがって、本来ならば、市民が積極的に政治に関与してこその民主政治です。しかし、「あなたたちを政治家に選んだから、あとは任せました」という態度をみんながとるならば、それはかなり消極的な態度であり、民主主義は機能不全と言わざるをえません。これは、このブログでも何度も取り上げているような話です。

Go to キャンペーンがどうなのかという問題はさておき、「私たちによる政治か、政治家による政治か」ということをもう少し考えないといけません。次回の記事では、日本人の「お上に従う」傾向はどこからくるのかということを、さらに考えていきたいと思います。

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