合唱コンクールのクラスターから考える

どうもシャオムです。

昨日、ある中学校の合唱コンクールで、新型コロナに集団感染したのではないかというニュースが出ました。

新型コロナ 中学校生徒20人 合唱コンクールで集団感染か 兵庫 | 新型コロナウイルス | NHKニュース

合唱コンクールが直接の原因かどうかはわかりませんが、これまでの事例からしても、この学校がクラスターに認定される可能性は高いと思われます。今回のこのニュースを読んで、合唱をやっている者として率直に、いろいろなことを考えました。その思いを少し書いてみようと思います。

今回のニュースを目にして、多くの人が「こんなときに合唱をやるなんて」と思ったことでしょう。たしかに、人が集まるさまざまな物事の中でも、合唱は相当感染リスクの高い部類に入ります。歌うという行為が直接飛沫を飛ばすことにつながるだけでなく、多くの人が密集し、換気をしながら歌うことも難しいからです。これをきっかけに、世間の合唱に対する認識は、厳しいものになり、ますます人々は合唱ができなくなっていくのではないかと思います。

今回の集団感染では、本当に合唱が直接の原因になっているのでしょうか。実は、僕が所属している合唱団は、しばらく前から練習を再開し、月に2から3回ほど集まっています。ただし、消毒、換気、並ぶ間隔や、練習に参加できる条件などに細かいルールを設け、徹底的なリスク管理を行っているほか、感染への不安を理由に休みたい団員への休団対応など、綿密な対応をとっています。一方で、今回の集団感染の記事では、生徒のほとんどはマスクをしておらず、並ぶ間隔も例年通りだったと書かれています。これでは感染対策が甘すぎると言わざるをえません。つまり、合唱が原因なのではなく、対策を徹底していないのが原因なのです。

しかし、そうはいっても、合唱のような、本質的に感染リスクを伴っているものの実施は、困難にならざるをえません。それは、海外で飲食店が休業を余儀なくされているのと同じです。ここから考えることは、「全体の利益を重んじる市民の態度」ということです。もし、全国の学校や合唱団が、徹底的な感染対策を実行し、有意義に合唱活動を行っていくならば、合唱自体を感染の原因とみなしたり、禁止にしたりする必要はないわけです。しかし、どこか1つでも対策を怠り、感染の原因となってしまう団があれば、即座に感染の原因を合唱そのものに帰する風潮ができあがってしまいます。ルールを守らない一部のせいで、全体が損をするというのは、誰もが経験したことのある原理ではないでしょうか。私たちは、このことについてもう一度よく考えなくてはなりません。

もう一歩踏み込んで考えてみましょう。誰もが全体の利益を尊重し、感染防止に努めようとするならば、そのような市民は良き市民だということができます。しかし、一見みんなが協力しているように見えても、それは必ずしも、全体の利益の追求から発せられた行動ではない場合があります。いま、世界には、感染が広がっている地域もあれば、そうでない地域もあります。一つの重要な感染対策として、マスクの着用がありますが、日本はほかの国々に比べて、人々のマスク着用率が高いおかげで、比較的感染が抑えられているという説があります。これが仮に真実だとして、なぜ日本人がみんなマスクをするのか考えてみましょう。もし自分がマスクをしなければ、周りの感染リスクを高めてしまうからマスクをしているのでしょうか。それとも、マスクをしていなければ、非常識な人と見られるからマスクをしているのでしょうか。前者は全体の利益に基づいた行動であり、後者は個人の利益に基づいた行動といえます。もし、私たちが後者の理由でマスクをしているのなら、それは良き市民といえるでしょうか。

合唱コンクールの事例から、こんなことを考えました。事例はあくまで事例であり、このような記事によって、当該校や関係者に不当な非難が及ぶことは、避けるべきことだと断っておきます。対コロナの戦いは、正念場を迎えているといえますが、日々強い気持ちで、皆さんで乗り越えていきましょう。

f:id:honmadesukate:20200710151723j:plain