法改正にあたって思うこと

どうもシャオムです。

昨日、新型コロナウイルス対策の特別措置法、感染症法、検疫法の改正案が内閣で決定しました。今後、国会で審議され、法改正が行われると思います。というんけで、今回は、法改正について少し考えてみましょう。

https://www.google.co.jp/amp/s/mainichi.jp/articles/20210122/k00/00m/010/022000c.amp

 

今回の法改正では、飲食店への休業や時短要請を政府が「命令」し、従わない店舗に過料を科すことができる規定(これまでは「要請」しかできず、直接の罰則もなかった)や、入院拒否した感染者に懲役刑を科すという規定が盛り込まれました。野党は、懲役刑には反対しているという状況です。

そもそも、法律を改正するということにはどんな意味があるでしょうか。本来、社会の秩序を守っている法を変えるというのは、重大なことです。昨日まで守っていたルールを守らなくてよくなったり、昨日まで自由にできていたことが制限されたりするわけです。日本は代議制であり、私たちが選んだ議員が法律を作ったり変えたりしているわけなので、法改正に対しては敏感であるべきです。

今回、コロナ関連の諸法が改正された理由は、「罰則がなければ感染拡大を止められない」という事情があるからでしょう。今までは国や各都道府県が、市民や事業者に対して自粛を要請してきましたが、それはあくまで要請であって、実際にどうするかはそれぞれに任せられてきました。しかし、医療体制がギリギリの状態である今、これ以上の拡大を食い止めるためには、罰則を含む命令を下せるような法的な根拠が必要だということです。

では、そもそもなぜ元の法律では命令ができなかったのでしょうか。それは、憲法においても、また日本の政治の伝統においても、行政に権力を集中させてはならないという理念があるからです。もし政府に命令をする権限を与えてしまえば、それが濫用されることによって、私たちの人権が脅かされてしまう恐れがある。これが、日本の民主主義の根本の思想であると思います。その考え方は、戦時中、軍部に権力が集中し、悲惨な戦争の結果を招いてしまったという反省があるかもしれません。要するに、日本では本来、国家が権力を持つということに対して非常に慎重なのです。他の先進国の政府がコロナ禍で厳しい措置をとっている中、日本では、市民の自粛のみでここまできたといえます。

そうはいっても、今回の法改正については、やむを得ないというのが、日本全体の世論となったのではないかと思います。しかし、ニュースを見ていると、「なぜもっと早く緊急事態宣言を出さないのか」という声や、「なぜ日本もアメリカのように罰則を設けないのか」という声が目立ちます。これらの意見はもっともですが、僕は個人的には、「国に権力を委ねる」ということに対する慎重さに欠けるのではないかと思っています。少なくとも、権力を濫用させてはならないという市民としての感覚を持っていなければ、私たちの自由や権利はいつでも守られるという保証はありません。

今回は、これからの法改正にあたって、僕が感じている「権力」の問題を考えてみました。私たち一人一人が、今こそ賢く政治を監視していかなければならないと思います。

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