「サンタクロースはいるのか」という問いから考える

子どもに「サンタクロースはいるの?」と聞かれて、どう答えるでしょうか。もし、あなたがサンタクロースはいないと信じているなら、「いるよ」と答えることは嘘をつくことになります。子どもは自分の言うことを信じている一方で、自分は子どもに嘘をつくというのは、どうしたものでしょうか。

「あらゆるものの根本は物質である」という考え方を唯物(Materialism)と言います。一方、「根本は物質ではなく精神である」という考え方を唯心(Spiritualism)といいます。

唯物的なものの考え方を貫くとすれば、子どもにプレゼントをあげるのはサンタクロースという人ではなく、親なので、「サンタクロースはいる」というのは嘘ということになります。

反対に、「サンタクロースは人そのものではなく、子どもにプレゼントを渡そうとする心のはたらき」という捉え方をすれば、「サンタクロースはいる」というのは嘘ではありません。ただし、大人がそのような唯心的な考え方に基づいて答えたとしても、子どもはサンタクロースが物理的に存在していると思うかもしれませんし、精神・物理の区別なく漠然と信じているだけかもしれません。

ともあれ、子どもから純粋に発せられた疑問というのは、大人の中にある矛盾をあぶり出します。子どもと大人の間には、「信じている世界」のギャップがあり、そのギャップは、子どもの知識が限られていることによって、生まれます。「信じる」ということは、人間の力を大きく引き出します。人に何か頼み事をされるとき、相手が自分のことを信じているのと、信じていないのとでは、頼み事を引き受けるかどうかが180度変わるでしょう。それぐらい、信じるということは重大な意味を持ちます。

しかし、ものを知れば知るほど、子どものとき信じていた「神話」は、一つ一つ壊されていきます。そして、いろいろなことを信じていたいからといって、知識を否定することはできません。人間にとって知識が必要なこともまた事実だからです。「知る」ということは、「信じる」ということと反作用すると言っていいほど、相性が悪いです。しかし私たちは、良い人間関係をつくるために、また良い世界をつくるために、人やさまざまな物事を信じなければなりません。知識を得つつも、信じ続ける力こそ、人間にとって大事なことなのだと思います。

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