「権力」は本質的にネガティブか

どうもシャオムです。

みなさんは「権力」と聞いてどんなことをイメージするでしょうか。政治家を思い浮かべる人もいれば、会社などの組織で権力を持っている人のこと、また親や教師などを連想する人もいるでしょう。一方で、「権力」という言葉は、「権力を振りかざす」、「権力の濫用」など、ネガティブな文脈で使われることが多いです。そのせいで、僕は「権力」と聞くと、無意識に一定の嫌悪感を抱くようになってしまっています。今回は、そんな「権力」というものを捉え直す機会にしたいと思います。

「権力」は英語では “power” であり、日本語の辞書では「他者を支配したり服従させたりする力」といった意味になっています。「支配」や「服従」という言葉が、悪役を連想させるように思いますが、辞書的な定義からも、「権力」が負のニュアンスを含んでいることは頷けます。ともあれ、「権力」とはつまり「他人」に対してはたらく力ということですから、それは支配する側とされる側という関係性のうえに成り立つ考え方です。

おそらく権力がネガティブな響きをもつのは、人が誰しももっている「他人に支配されたくない」という気持ちのせいではないかと思います。しかし、本来であれば、「権力」そのものに悪い意味はなく、もっと中立的なものであるはずです。

たとえば、親は子どもに対して権力を持っています。ネガティブな意味で捉えれば、それは子どもの自由を奪い、縛り付けるものです。しかし、では親は権力を放棄すべきでしょうか。いいえ、親は子どもをしっかりと監視し、誤りがあれば正す責任があります。権力は自由を奪うだけでなく、子どもを守られた環境で育て、必要なものを与え、教育するためにも重要なものです。親は権力を持っているからこそ、子どもを育て、また導くことができるのです。

このような権力の「正のはたらき」は、親子の関係性以外にも当てはまります。国の政治権力は、国民の自由を奪う側面がある一方で、必要な手を差し伸べることもあります。たとえば、国が権力を行使することによって、国民は教育や医療を受けられたり、安全を確保してもらえたりします。もし国が権力を手放せば、自由と共に訪れるのは混沌です。

このように「権力」という言葉自体には、正負両方の側面があります。しかし、おそらくその負の側面が強調されることが多いせいで、私たちは権力を嫌うのかもしれません。もちろん、もし私たちが支配される側の立場である場合、権力を振りかざして私たちを脅かす存在には抵抗していかなくてはなりません。

一方で、権力というのは正の側面を持っている以上、国と国民、親と子など、あらゆる関係性において必要なものです。したがって、支配する側に立つ者は、権力を振りかざして相手を抑圧するのではなく、権力の正の部分を行使していかなくてはなりません。そしてもっと重要なことは、自分が支配している相手を無意識に苦しめるような、負の権力を発動させていないかに絶えず注意していなくてはなりません。権力は関係性という仕組みのうえに成り立つものであり、しかも支配する側に有利になるようにできています。人間に「楽をしよう」とか「自分を第一に守りたい」という心がある以上は、権力の負の側面は、放っておくと増大していく傾向にあります。私たちは社会の中で、支配する側にもなればされる側にもなります。権力の性質について知ることは、その使い方を誤らないための第一歩になるのではないでしょうか。

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