ネット上で発言することのをリスクを考える

どうもシャオムです。

SNSでの発言に対する世間の目が厳しくなってきていて、ポジションをとった意見や批判的な意見を発信しにくくなりつつあります。以前「意見の発信をしているか?」という記事で、そんな状況の中意見を発信することの価値を考えました。今回は逆に、発信の負の側面、すなわちSNSでの発信に伴うリスクを考えていきたいと思います。

SNSのリスクで真っ先に思い浮かぶのは、誹謗中傷に代表されるような特定の人を傷つける行為かと思います。SNSを使うということは、自分が知らない間にそのような誹謗中傷に巻き込まれてしまうリスクが多少なりともあるわけです。今では何の問題もない発言も、いつか問題発言としてみなされる時が来るかもしれません。ネット上の発言は、良くも悪くも後に残るので、注意が必要です。

ほかにも考えられるリスクはあります。焚書という言葉を聞いたことがあるでしょうか。もともと秦の始皇帝が、国中の書物を焼却したことが始まりです。現代風に言うと、つまり検閲です。国(政権)が自分たちに都合の悪い書物を出版できないようにすることです。このような政策は、人類の歴史で何度も行われてきたものであり、これからの時代でどこかの国がこのようなことをしても不思議ではありません。現在でも出版物に対して制限が課されている国はあります。

ここで、あらゆる人がインターネットを通して発信できるようになったいま、検閲がどのようになされるのかが問題です。たとえば、中国ではGoogle検索エンジンが利用できなくなっているように、インターネット上の情報の一部をシャットアウトする方法があります。しかし、中国でも何らかのルートを使えば簡単に外の情報にアクセスできることは想像がつくと思います。いざ国が情報を管理しようとしてもかなり難しい時代に入っています。

とはいえ、たとえば戦時下のように、国が思想や言論に対して何らかの制限を加えようとした場合、SNSでの発言が狙われる可能性はあります。ここでもやはり、ネット上での発言の「後に残る」という性質が問題となっています。

以上、SNSのリスクを考えてみました。思想や言論の自由が脅かされるというケースは、近代国家においてあるまじき状況ですが、実際に笑って済ませるような内容ではないということを感じます。本ブログではこれからも、これらのリスクを冒して日々書きまくっていこうと思います。

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