僕が教育に向いていないと思う理由

どうもシャオムです。

学校で働き始めて1ヶ月が経ち、少し考える時間というものができてきました。ひと月過ぎて感じることはいくつかあるのですが、今回はその中でも、自分が教師に向いていないなと思う部分についてお話しします。

今の率直な気持ちとしては、思っていたよりは学校に馴染めているとは思います。周りの先生方に助けてもらいながらいろいろな仕事をなんとかつないでいる状態ですが、何よりクラスや授業で子どもと接するのは楽しいと感じています。それだけでも、ああ学校に来てよかったなと思える理由になっています。

一方で、学校での仕事の中で、自分が強いストレスをおぼえる場面というのがいくつかあります。その一つが、子どもを褒めること・叱ることです。もう少し詳しく言うと、「あえて」褒めたり、「あえて」叱ったりすることです。たとえば、教師としてよく言われるのが、「良いことは褒めると続くようになる」ということです。たとえば、静かに先生の話を聞いていれば「静かに聞けていましたね」とか、早く整列できたら「早く並べましたね」とか。たしかに、子どもからすれば、承認されることでそれが正しい行動だと思うようになるでしょう。だから、このように「良いことを褒めれば続くようになる」というのは僕は正しいと思っています。

しかし、僕もこういう「良いこと」は気づいたら褒めるように気をつけているのですが、どうも違和感があります。それもそのはずで、心に思ってもないことを言って褒めいるのです。だから、結果的に子どもたちは僕の褒める発言によってそれを良いことだと認識したとしても、僕にとっては思っていないことを口から発しているという恥じらいや嘘があります。

なぜこうなるのかを考えてみたのですが、問題は、僕が学校で美徳とされている集団行動にほとんど価値を感じていないことです。静かに人の話を聞く、素早く整列する、言われた通りに行動するなど。たぶん心のどこかで「そんなことできたところでどうするねん」という気持ちがあるのだと思います。もちろんこれらは学校ではできないと困ることなので、ちゃんとできたならば褒めるべきなのでしょう。しかし僕は、集団行動がうまくできた集団に対して感動をおぼえませんし、特に何も思いません。特に何も思っていないのに褒めるのは、気がひけるのです。

これはおそらく、教師としては不便な性格です。思った通りに褒めるのはむしろ良いことだと多くの人は思うかもしれませんが、おそらく学校の先生たちは、ほとんど無意識に褒めたり叱ったりしていることが多くあるのではないかと思っています。「静かに聞けていましたね」などという言い文句は、集団管理のための基本的技術として、多くの教師に刷り込まれているのでしょう。

僕はこの技術を身につけるべきなのでしょうか。答えはまだわかりませんが、身につけるとしたら、人一倍苦労するかもしれません。いや、これを身につけない方が、教師として険しい道に入っていきそうです。

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