名付ける意義、名付ける危険

どうもシャオムです。

今日は、「名付けることの利点と弊害」の話をしようと思います。以前、英語の勉強法の話で「単語を名付けることが大事」という記事を書きました。

 

honmadesukate.hatenablog.com

単語を覚えようとするとき、その単語の呼び名をわかっていることが重要だという話でした。

最近、この「名前がある」ということは、生活の中でも重要な意味を持っていると感じます。たとえば、あなたの職業は何ですかと聞かれたとき、「学校の先生です」だとか「デザイナーです」だとか答えられる人は良いですが、はっきりした呼び名のない複雑な仕事をしている人もいます。社会では、仕事の内容自体に関わらず「学校の先生」や「デザイナー」のように仕事に名前があることが、何かと求められます。

名前があることをもっと強制される場面は何でしょうか。「結婚しているか、いないか」「付き合っているか、いないか」はその例です。結婚しているかどうかは、いわば契約のようなものなので、2人の人間関係が良好かどうかについて何ら意味を持ちません。「彼氏がいる」「彼女がいる」というのも、2人の関係に「付き合っている」という名前をつけただけで、本質的に「仲が良いか」にはあまり関係ありません。

しかし社会では、「結婚しているかどうか」や「付き合っているかどうか」が重視されるので、人々はそれに従わざるをえません。結婚しているかどうかで、適用される制度か変わったり、付き合っているかどうかで、周囲からの認識が変わったりするからです。実際の人間関係という「内容」とは関係なく、結婚という「名前」があることを求められるのです。

こう考えると、名前を付けることの利点は、「仕組みに取り入れやすくすること」にあります。一人一人に名前があることによって、コミュニケーションがスムーズになり、区別が簡単になります。政府が夫婦を支援する政策を行うとき、夫婦である/ないという区別は、管理するのに役立つものです。名前があることによって、みんながその「もの」や「概念」を認識しやすくなり、社会や生活の仕組みに取り入れやすくなるのです。

反対に、名前を付けることの弊害は何でしょうか。それは、ものや概念が単純化されることによって本質がそぎ落とされてしまうことです。消しゴムは、消す道具である前に四角いゴムですが、「消しゴム」という名前を与えられたことによって、消すためにしか使われなくなります。「結婚」という名前を与えることによって、それは家庭、子ども、幸せなどの概念と結びつけられます。つまり、社会一般が「結婚」という名前に与えたイメージに吸収されることになります。それと同時に、本来2人の間にあるはずの細かい人間関係が見落とされるかもしれません。逆に考えると、私たちが物事の本質を見ようとするなら、「名前」にとらわれないというリテラシーが必要です。

 

今回は「名付ける」という行為を少し深堀りしてみました。まだ思考が整理されていない感はありますが、少なくとも一つの視点にはなるのかなというところです。ではまた。

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