一発勝負の受験の是非

どうもシャオムです。

年が明けて、受験のシーズンに入ってきました。先週末には初の大学入試共通テストが行われ、また今月には私立中学の入試が行われています。この後、さらに高校入試や大学入試が行われることになっています。

多くの人は受験の経験を持っていますが、日本の入試の仕組みというのは客観的に見れば、ある意味変わっています。その一番の特徴は、一発勝負という点です。多くの入試は、試験日が定められ、志願者は会場に足を運び、試験を受けます。そして、その試験の結果をもって、行きたい学校に行けるかどうかが決定するのです。これは入試だけではなく、たとえば公務員試験や国家試験などでも行われている方法です。これは日本人からすると当たり前かもしれませんが、たとえばアメリカでは日本に比べると用いられないやり方です。

一発勝負の試験の良い点は、その公平性にあります。すべての志願者を、同じ日に同じ条件で受験させ、テストの点数という一つの尺度で評価すれば、高い公平性を担保することができます。もう一つは、制度としてわかりやすいということです。学生側も選考する側も、そのテストで良い点をとれば合格する、というたった一つの基準に従えばよいので、複雑なコストが少なく済みます。もしも評価基準を多様化し、合格する方法が学校によって違う、地域によって違う、分野によって違うということになれば、制度をいちいち作るコストや調べるコストが大きくなります。制度がわかりやすいということは、あまり意識はしないものですが、よく考えるとかなり重要な要素です。

しかし、もちろん一発勝負には、デメリットがあります。それは、学生のさまざまな能力を評価しきれないことです。一回の筆記テストだけでなく、人柄や実績などを評価すれば、学校や大学はよりふさわしいと思う学生を選べますし、学生は自分の個性を評価してもらえるチャンスが広がります。大学入試のあり方は、いま、こちらの方向へと変化しようとしています。

また、一発勝負は本当に公平なのかという問題も残ります。試験それ自体は厳格そのものであり、公平といえますが、試験を受ける日のコンディションは人それぞれ違います。もちろん、入試で測りたいのは学生の本当の能力ですが、一発勝負では、それが発揮されるとは限りません。たまたま受験の時期に体調を崩したり、何らかの問題で受験に集中できなかった学生は、非常に不利な入試、またもしかすると不利な人生を強いられてしまいます。これが公平といえるのかどうか。それは公平という概念をどう捉えるかという問題です。以前書いた、「教師は公平でないべきかもしれない」という記事や「男女平等がなぜややこしいか」という記事でも、公平の概念について書いているので、そちらも読んでみてください。 

今回は、一発勝負の試験の良い点と悪い点を考えてみました。皆さんそれぞれが、受験に対して一定の価値観をもっていますが、これを機に、改めて考えてみてくださればと思います。

 

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